Clic
Clic
Clic


   
 
 





Dialogue : about/ from HS’ curatorial practice 2
Mizuki Endo <ー> Yuka Tokuyama



21世紀に生きる私たちが、ゼーマンにどのような意義を見出すことができるのか?
徳山由香から遠藤水城への対話形式のインタビュー。(2007年3月)
その1よりつづく)


福岡、アジア、欧米

YT : 遠藤さんは、福岡とアジア、あるいは欧米でも仕事をされていますね。それぞれの仕事についてどのような考えで取り組まれているのでしょうか?
またとくに、展覧会をつくる、人に見せる、という行為において、遠藤さんはその根拠をなにに置いていますか?

ME : 福岡およびアジアでの仕事と欧米での仕事は完全に別物だと考えています。福岡およびアジアでの仕事は非常に長いスパンで考えているのに対して、欧米での仕事の方はいわゆる「キュレーション」を心がけています。そう考えている時点で、キュレーション=欧米的なものと僕が考えている節がありますね。
展覧会をつくることについては、2通りあります。福岡およびアジアでの活動では、それが普及し、根付き、力を持ち、人が楽しめるかどうか、ということが非常に重要です。欧米でのキュレーションに関しては、状況に寄りますが、何か抽象的なもの(歴史、かもしれませんし、美術なのかもしれません)に準ずる価値規範に則って、それに適うものを作ろうとしていて、お客さんのことはあまり考えません。


YT : 「キュレーション=欧米的なもの」という意見について、もうすこし詳しくご説明いただけますか?また逆に、欧米のどこかで福岡やアジアのような土壌を耕す・楽しむ活動をしようとは思わないのでしょうか?さらに踏み込んでお尋ねするなら、欧米では“お客さんのことはあまり考えない”というのはなぜでしょうか?

ME : あらためて説明します。まず、僕のベースは福岡やアジアでの様々な活動です。これは文脈依存的であり、その地域でしか作用しないタイプのプロジェクトです(地方でミニコミ美術雑誌を発行するなどその最たる例です)。僕はこの「地方的」な作業の蓄積が、大きな意味を持って欧米に伝わるようにこれからしていきたいと考えています。道のりは長いです。

しかし、欧米で仕事をする際、自分がその地域のことを考えて、社会的かつ美学的な作業を行う、というのは外部の人間である以上なかなか難しいものがあります。機会があればやりたいのですが、それにはその地域に長く滞在し、なおかつその地域と一生付き合うという覚悟が必要です。いまのところ僕が覚悟できているのは「福岡」と「マニラ」だけだ、ということです。ちなみに次の選択肢は「ジョグジャカルタ」です。こういう選択は「アジア」、「島国」、「輸入された仏教/キリスト教/イスラム教」など自分が格闘したい枠組みから決定しています。いきなりロンドンとかサンパウロとかはちょっと無理です。ただ、強調したいのは、こういう「地方」での活動の蓄積がいずれは普遍性を持つはずだ、と僕が信じているということです。ちなみに、これらの活動をキュレーションと呼べるのかどうか、自分ではわかりません。

もう一方で、欧米での「キュレーター」の仕事はまだ始まってもいなくて、これから手探りでやっていくつもりです。その際まず基本になるのは、作家と作品の力しかないだろう、と。自分が一緒に仕事をしたいアーティストとまっとうな展覧会をする、というかなりベーシックなことをまずはやりたい、ということです。欧米のお客さんは美術に対する造詣が、やはり日本よりはありますので、それが美術作品として成立していれば、ちゃんと評価してくれるという意味で、あまりお客さんのことは考えていないと書きました。考えていないのではなくて同じ土俵にまずは幕下くらいからでいいから立ってみよう、と。もちろん、最低限の批評のエッジは保ちながら、ですけど。そういう作業をしていくなかで、欧米のインスティテューションとの距離感を掴んでいきたいのです。僕はキュレーターとしての訓練を積んでいないので、まずは基本が必要なのです。


歴史、主観、革命

YT : なるほど。「現代美術」がまさによって立つコンテキストをもつ欧米に対して、アジアにおいては輸入した概念としての「現代美術」を「輸入でないもの」とするための格闘ととらえられるでしょうか。それでは、現代美術を扱うキュレーターとして、同時代性と歴史との関係をどのように捉えていますか? 遠藤さんにとって「現代美術」とは、時間的、空間的な区切りで定義づけられるものでしょうか?

ME : まず僕は常に僕のまわりにあるものの中から「歴史的」だと思えるものを見つけてそれを尊重しようとしますし、歴史に登場すべきなのにいまだ登場していないものが「見えた」ら、進んでそれに形を与えようとします。ただ、その歴史はもしかしたら僕個人に限定された、狭い範囲のものかも知れません。僕自身は「絶対にこれは人類の歴史にとって重要だ!」と思ってやっていますが。そういうことを考えながら、芸術という分野で仕事をしているだけであって、とりたてて「現代美術」について考えているわけではありません。


YT : とても興味深いお答えですね。この質問は、私自身、かつて日本の美術館を中心とする環境に身をおきつつ、自問していた問題でもあります。たとえば、西洋で形成された美術史に則って現代美術を紹介しその正統を紡ぎ出そうとするか、あるいは歴史意識には無関心に、いわばジャーナリスティック(流行的といってもいいかもしれません)に旬のアーティストを見せるといった態度の両極端であってはならないと思うのです。

例えば、ゼーマンの場合は「主観」と「直観」がすべてで、美術史には全く関心を示しませんでした。こうした態度は実は、公的制度としての美術館においては認め難いものだと思います。美術館とは歴史を記述し、オーソライズし、保存するという使命を担った機関であるため、個人の主観は歴史的要素による裏付けによって客観化されることが必要です。すくなくとも美術史研究を基礎とする研究者-学芸員はこうした意識でいると思います。
ここで私が問題にしたいのは、「キュレーターの主観」はいかに歴史に貢献するのか、ということです。このことについて遠藤さんのご意見をお聞かせいただけますか?

ME : まず大きな話から。僕は、ダダイズム、ロシア・アヴァンギャルド、初期ヒップホップ・ムーブメント(ラップとターンテーブル演奏、ブレイクダンス、グラフィティを含みます)が好きです。どれにも共通するのは、「地方」が「世界の矛盾の集約点」となり、奇妙に抽象的で美しい「様式/スタイル」を「ジャンル横断的」に生み出したということです。そしてどれも美術館からは生まれていません。さらに言えば、どの運動もその当初の爆発力が短期間で収束しています。収束すると同時に拡散して全体化したというのが正しいのかもしれません。ともかくどれもが革命的というか、ロシア・アヴァンギャルドに至っては革命そのものです。いきなりですが、キュレーターにとって最高の瞬間は革命以外にありえないと思います。芸術の緊張と社会の緊張が最高点に達し、おたがい共鳴し合う瞬間というのがそこにはあったはずだからです。そしてたぶん、その瞬間において、キュレーターなんて無力なものなんじゃないでしょうか?例えば僕が1919年にモスクワにいたとします。(以下妄想)

(自宅にて電話が鳴る)
「あー、もしもし遠藤?タトリンだけど。」
「おー、タッちゃん、どしたん?」
「あのさー、おもろいもんつくったんだけど、うちこない?」
「あーわかった、んじゃすぐ行くよ。」

(タトリンの家に到着)
「これなんだけどどうよ?」
「うわ、なにこれ?でかっ!塔の模型?」
「そう。第三インターナショナル記念塔の模型。やばくね?」
「やばい。やばすぎ。」
「実際は高さ400メートルでいきまーす。ちなみにこの中の、丸いのと三角のと四角いのは、なんと回転しまーす。」
「まじで?無理っしょ?」
「無理かどうかは知らん。あと電波飛ばしたり、滑り台から車を出動させたりする機能付き。」
「うそー、やりすぎじゃね?」
「やりすぎなくらいが革命にはちょうどいいんだよ。わかってないなー。」
「そうかもねー。」
「でさー遠藤さー、これまじで実際作るつもりだからさー、なんとかしてよ。キュレーターでしょ?」
「ごめん、絶対無理。」

すいません。あくまで妄想です。話を戻します。僕が考えるキュレーターにとっての理想は、なんたらビエンナーレをやることでも、どこかの美術館の館長になることでもなく、革命以外ありません。革命においては芸術が社会を変え、社会が芸術を変えています。そして、それがそのまま歴史になります。革命は原理的には、「社会」と「芸術」を媒介させるキュレーションの最高形態です。しかし、逆説的ですが実際の革命においてはキュレーターの役割は多分ありません。悲しい話です。

以上の大きな話で言いたかったのは、起こったことを歴史化する作業と、実際に歴史をつくることは別のことで、僕はまず後者を優先するということです。美術館が機能するのは前者のみです。

さて、身の丈に合った話に戻ります。革命とか言っても、実際は毎日小さなことにくよくよ悩んだりしながら生きています。それでも、例えば福岡にいると東京の文化とはなんなのだろうか、都市部における日本特有の消費の形態ってあるよなー、すごい気持ち悪いよなー、しかし若者はどんどん貧乏になってね?、ところで福岡に美術って必要?誰も作品買わないし美術館も現代美術のこと全然やんないじゃん、それでも芸術にしかできないことがあるはずだ!、いやそれ以前に若者がなんか集まって怪しいことをやる場所や機会がまずは絶対に必要な気がする、あと自分たちのメディアとかもあったらいいなー、等々と日々考えます。そしてそういう状況の中で「複合的」にやるべきことを決定しています。だからこれは明確なコンセプトを持ったアート・プロジェクトのようなことでもなくてひたすら地味な実践なのです。ただ、この実践は常に社会や文化や政治と関係をもっています。そして、なにをやるにしても常識や制度、搾取や不平等に対すると抵抗と、自由を希求する態度が含まれるようにしています。日常的な様々なことを、何らかの形でプロジェクト化して社会性と歴史性を持たせるということです。

YT : なるほど、遠藤さんの美術と社会、ひいては歴史との関わりについて、ダイレクトで真摯な態度が感じ取られるお答えを聞けて、とても嬉しく思います。私の方からは、ゼーマンと革命について、話を引き継ぎたいと思います。


その3へつづく)


 

>> Related Articles >> Articles liés